昨日よりは真面目な話(なお需要はない)

昨日はふざけたこと書きすぎたので、今日は悩める人々に自分の持論を書きたいと思います

『成功する1番の近道は努力』や『努力は必ず報われる』という考え、結構一般的です。わかりやすくて、それっぽい。簡単に人が釣れます。でもそれ、本当に正しいですか?努力だけでそうなりますか?
私にとって成功とは大学合格だったので以下それについて書きたいと思います。

『努力は成功の1番の近道』という言葉がありますが、これは大学受験においては間違いなく嘘です。努力だけで大学に受かるなら東大受験者は基本的に受かっているはずです、なんせその土俵に立つ人はすべからく努力してきているのですから。でも落ちる人もいます。私にはそれが努力の量で決まっているとは思えません。
次に『努力をしたならば報われる』。一見正しそうにも見えますが、これは対偶とってみれば一瞬でわかります。『報われていないならば努力をしていない』。そんなはずはありませんよね。あなたも一度や二度何かで失敗したことくらいあるでしょう。それらを「努力をしなかった」と簡単に片付けてしまうことができますか?

努力万能論が誤りであることがおわかりいただけたと思います。こんな努力万能論、自分を突き動かすだけなら「勝手にやってろ」、で済みますが、世の中結構他人に押しつける人間がいます。それはもう腹立たしいほどに。なぜ他人にの努力の量の寡多が決められてしまわなくてはならないのか。彼らは我々の何を見てきたのか。そう問い詰めたくもなります。努力をすれば何でもできる、そんなの昭和の、2世代も前の時代遅れの発想です。そんな物を他人に押し付けてありがたがらせようとする人間には反吐がでます。

これまで私は努力は万能ではない、と書きましたが、努力を否定するわけではありません。むしろ、努力は非常に重要だと捉えています。ではなぜ重要なのか?(ここから先は完全な持論となります)

それは努力をしてきた、という自信が持てるようになるからです。自信は自分の能力を最大限発揮させることができると考えています。こと受験においては、試験問題を解くことさえできれば合格できるのですから、努力自体は直接的には殆ど関係ありません。しかし、努力は(自己肯定感の強い状態では)自信をもたらします。乗り越えてきた問題に自信がある人は、何かを憂う必要もなく真っ直ぐに試験に取り組めます。一方、自信がない人間は、解けるのか不安になってかなり迷走します。そして、頭が焦げついて簡単なことも思いつけずにショートしてしまうのです。

このように努力は自信を持たせるという意味で間接的に成功に関与します。しかし、それは決して直接的ではない。失敗を努力の不足のせいにするのは、リレーにおいて第1、第2走者がしっかり走って第3走者がコケたのに、アンカーが第1走者を責めることと同じでナンセンスです。そんなことをしたって意味はない。失敗を努力の不足のせいにして強引に頑張り続けるより、失敗のあと一度冷静になって頭を冷やしたほうがいい。模試などで良くない点数を取ったとき自信を失いがちです。でもそこから努力だけしても自信はついてきません。結局生まれてくるのは焦りだけです。しっかりと自信を持てる地盤を作って、努力をしてみてください。きっと伸びますよ。無闇に努力だけを信じないこと。努力は適切な条件下で初めて実を結ぶびます。その条件を作り出しましょう。